砺波市 五鹿屋公民館

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五鹿屋地区のあらまし

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散居村

「はてもなき 礪波のひろの 杉村に とりかこまるる 家々の見ゆ」

 昭和天皇が昭和45年 富山県植樹祭ご臨席に於いて、砺波平野のカイニョに囲まれた散居村に感動され、うたわれた一句です。

 五鹿屋地区は砺波市の南部に位置し、見渡す限り美しい散居村が広がる庄川扇状地の一角です。

 五鹿屋地区に伝わる伝説に、庄川を下っていた舟が沈みその御霊を祭った地域が、舟の名にちなんで、五郎丸(砺波市五郎丸)となったといわれているように、中世の五鹿屋地域はあばれ蛇川ともうたわれた庄川の一部でした。

 室町末期から江戸時代にかけて、砺波平野が開墾され、また加賀藩の治水政策により庄川の氾濫が少なくなり、五鹿屋地域も徐々に開墾され村が出来上がっていったといわれています。

 庄川の豊富な水と、扇状地の特徴である緩やかなこう配が農水路を引きやすく、農作に適していることから、江戸時代中期には水源の豊かな農村として発展してきました。

 現在では、富山県の米処の一角として、その美しい散居村を水田の水面にゆらゆらと写しています。

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